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クレー「ルツェルンの公園」

小学校の校庭に絵を並べ、合図とともに好きな絵のまわりに集まる遊びをしたことがある。すべて人物画。ピカソの少女像、ボッティチェリのヴィーナス、エジプトの女性像、クレーの「ヒナギク」という題の顔、岸田劉生の麗子像…。結果はピカソが一位だったが、クレーが僅差で続いた。明るい色と愛らしさが決め手になったようだ。
子どもたちに抽象画を解説するのは難しい。けれど、多くの子が抽象画を体験したと感じたのはクレー作品と音楽を組み合わせた時だった。私は子どものためのクレーの絵本の中で、線と色とをケンカさせている。絶妙な色と有機的な線。両者の出会いに注目する話。この話を下敷きに音を取り入れた。クレーは音楽一家に育ち、11歳で地元スイスベルンのオーケストラのエキストラに認定されるほどのバイオリンの名手。音楽が画家の絵に多大な影響を与えたことは有名だ。
用意したのはカラオケと歌声とに分けたミュージカル音源。まずカラオケの聴覚体験を色で紙に表現。次に透明セル板に目隠しで向かい歌声だけの印象を黒いサインペンで表す。クレーとは比べられないものの、各自独特の抽象画ができあがる。
こんな体験がいつか絵を見る楽しさに繋がって、クレー絵画がひとりひとりに根付くことを私は願っている。

マティス「王の悲しみ」

子どもはお絵かきばかりが得意なのではない。色に対する反応はことのほか大きい。筆やクレヨンが苦手な子どもも夢中になれるのが切り紙だ。
マティスの切り紙作品「王の悲しみ」。画家が晩年病を患い、快復して手に入れた手法だ。油彩より体力的に扱いやすかったのだろう。大胆にも繊細にも扱える色紙。画家は紙を自身で着色するところから始めている。
子どもたちと挑戦したのは夏の軽井沢。美術館の庭に集まった地元の子どもたちと風に舞っていく紙を追いかけながらの楽しいひとときだった。70色ほどの色紙を用意し各自3枚を選ぶ。実はこの段階で仕上がりはほぼ決まる。色感の善し悪しは恐ろしい。余談だが一説には色感は幼児期に決定してしまうともいう。で、思い思いにカラフルな色を貼った台紙にマティスの作品「ダンス」の人型を切り抜いた白い紙を乗せて完成。「ダンス」に限らず、マティスのフォルムは簡単に見えてどうにもこうにも凄い力があるのだ。その形が色の上に乗ればとびきりの作品になることを私は密かに知っていた。
子どもたちは夏休みの自由課題にすると誇らしげに見せ合っている。自信満々の我が作品が実はマティスのフォルムの魔法のお陰だと気づくのは、まだ先のことでいいのだ。

歌川広重「東海道五十三次ー原」

私が子どもたちに教わったことのひとつは絵の隅々までをよく見るということ。大人はどうしても作品全体を問題にしがちだ。「こんな所に○○がいるよ」。言われて始めて気づくことがある。
ところで、子どもたちの好きな絵はもちろん西欧名画ばかりではない。浮世絵に対する関心は強く、彼らの視線は当然のように隅々にまで及ぶ。素朴派がそうであるように、日本の浮世絵も中心と区別するために周辺をぼかしたりしない上、浮世絵はもともと江戸のアニメやマンガのようなもの。子どもの視線と興味にぴったりなのだ。なかでも広重。
「東海道五十三次」のなかから東海道をいく旅人だけを切り取って子どもたちの前に。するとたちまち彼らは画材を探して余白になにかを描き出す。荷物を担いで歩く旅人に彼らは感情移入し想像力を膨らませるのだ。旅人は火星を歩き始め、現代の都会にワープする。そんな時、子どもたちは作品を鑑賞しているのではなく、体験しているのだとつくづく感じる。
数年前、「原寸美術館」という本を上梓した。画家の息づかいまでを届けたいと願いながら作った画集だ。考えてみればこの企画の根底には、子どもたちの部分に注目する見方があったのだとこのごろつくづく思う。

曽我簫白「群仙図屏風」

子どもの好きな絵という時、語りたいことがまだいくつかある。
その一。ゴッホの絵と子ども。私はゴッホの絵は模写したりするよりも、分からないまま眺めるということが子どもにとっては大切なのではと最近思うようになった。描いてみるということだけが重要ではない。隅々まで眺め味わい、思うことを話したり書き出したりすることもアートへの貴重なアプローチになる。ゴッホ作品を模写させようとして「これは違う」といくたび反省したことか。
その二。大人が思うよりずっと子どもは訳の分からないものを面白がる。子どもが自由に描いた絵には恐竜、お化け、龍、宇宙人、ふしぎな生物が跋扈する。だから妙な絵ばかり描くあるいは見たがる子がいてもそれはとてもまともだと感じる。
例えば曽我簫白。江戸時代のこの孤高の画家が描く作品は得体の知れない仙人と幻獣たちのオンパレード。細部に注目する子どもたちにとっては面白くて仕方がない。「龍」をテーマで簫白や蘆雪を扱ってみたけれど、案の定、男子の筆が冴えた。赤龍や青龍が火を吹き空を舞った。今思えば、龍を見てどんな風に感じるか話してもらう機会もあればよかった。鑑賞から体験へ、そして再び鑑賞へ。子どもたちとの名画をめぐる日々はまだ終わりそうにない。


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