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スーラ「グランドジャット島の日曜日の午後」

子どもは人物画に興味があると前回書いた。が、この作品だけは少々異なる。
ご存じのようにスーラは、今の印刷技術にも似た点描という手法で透明感のある画面を生み出した。最後の印象派展に出品されたこの作品は人々殊に画家仲間を刺激した。で、ゴッホもマティスも点描に挑戦した。けれどその価値を知りながら誰もが長続きしなかったのは、制作が緻密で、時間と根気を要したからだと私は思う。
大阪の子どもたちと点描に挑戦した夏の日。効率を考え、消しゴム付き鉛筆を用意しゴムの部分でスタンプさながら色を置いていった。けれど2時間たっても半分も進まない。焦る私。子どもの集中力はとうに限界を超えている。飽きてしまえば良い思い出は残らない。ところが。私の困惑を知ってか彼らは鉛筆を放棄し、小さな指を絵の具に浸し指の腹で色を置き始めた。4時間。彼らは黙々と行程をやりとげた。そのけなげな姿に涙した。どうだった? とおそるおそる聞けば「疲れたぁ。スーラって凄いね」。
当のスーラにしてもこの作品は2年越しの大作。31歳で夭逝した画家の人生を考えればこの作品のかけがえのなさを推し量ることができる。驚いたことに、後日私のもとに何通かの葉書が届いた。何とそこには点で描いた絵が。私はつくづく幸せ者だと思った。

ルソー「眠るボヘミエンヌ」

私のことを知らずにこの欄を読んでくださっている方には、私が少年少女落書隊の隊長のように映っていることだろう。
私とて、こんな風に子どもたちとつき合っていくことになるとは実は夢にも思っていなかった。私が作った子どものためのアート絵本は当初自らの思い出がベースだった。なのに。ひょんなことから各地でワークショップや講演を引受け、出会う子どもたちのエネルギーに後押しされながら試行錯誤を続け、続巻をつくることになっていった。
ある年、ルソーに挑戦を試みた時のこと。大ボラふきのルソー爺さんに負けないで思いきりホラをふいてみようと呼びかけた。不思議大好き動物大好きの子どもたちが、登場するとぼけたライオンを見逃すわけはない。彼らのライオンは銀河を、鍵盤の上を、お化け屋敷を悠然と歩いていく。のっしのっしと。ルソーのライオンはさらに愛嬌を増し、どの子の絵の中でも妙にしっくりと収まっている。皆の絵のなんと誇らしげなこと!
素朴派の元祖ルソーの魅力を子どもたちから教わった気がした。「もし素朴派と名づけられた一群の画家たちがいなかったら、西洋名画はもっと窮屈なものになっていただろう」と。

クリムト「期待」

私は教育者ではない。だから美術よりも例えば株式の仕組みに子どもたちをなじませる方が有意義では?と問われたとしても、特別な答を用意していない。私はただ、自分が持ち合わせているアートに対する感動体験を一冊一冊に込めて本作りをしてきたに過ぎない。
そんな私にもひとつ心がけていることがある。それは、扱っている名画の本質と全く関係なく、名画の面白さを作り上げないということ。子どもの読者を裏切らないということだ。
私はクリムトという画家はエロティックすぎて子どもには無理だと思っていた。けれどある時、画家の制作過程を知り、子どもたちと「クリムトに挑戦」をしてもいいと考えるようになった。それは画家が絢爛な文様の衣装を女性に纏わせる前に、裸身を描いたという事実だ。外見は着飾っているが中身は…。世紀末ウィーンの隠蔽体質への逆説的な暴露と思いたくもなるが、それはさておき、これがヒントになった。
クリムトのドローイングを刷った台紙を用意し着せ替え人形さながらその上に服を描く。想像通り女子からの華やかな力作が集まった。その時挑戦したのが「期待」だ。
どんな作品であれそれが力ある作品ならば、ライトの当て方ひとつで生き生きした感動の素材になると私は信じている。


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